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源義経

世界遺産平泉を巡る  高館義経堂

高館義経堂は世界遺産を構成していませんが奥州藤原氏と関連のある史跡なので寄ってきました。

平泉 高館義経堂 (1)

看板は見つけやすいです。看板から少し行った所に専用駐車場があります。

平泉 高館義経堂 (2)

結構な急坂です。

平泉 高館義経堂 (11)

有料ゾーンと無料ゾーンがあり、この日は無料ゾーンのみ見てきました。有料も見ときゃ良かったなぁ。

高館義経堂は坂の後に急こう配の階段が待っています。

平泉 高館義経堂 (5)

階段を上りきると分かれ道に。まずは義経堂からご紹介します。

高館義経堂は奥州藤原氏の居館の一つで、平泉に落ち延びてきた源義経を匿った場所です。

源義経は壇ノ浦で平家を打ち滅ぼした功労者でした。

しかし頼朝に許可なく検非違使に就いたり、平家との戦で指示、権限を無視した事などを理由に

頼朝からは罪人扱いを受けます。 

加えて頼朝が義経を討つ行動を取ったため義経は京都を去らざるを得なくなり、

若い頃、鞍馬寺から逃げ出した際に匿ってもらった藤原秀衡のもとへ落ち延びました。

平泉 高館義経堂 (8)

平泉 高館義経堂 (10)

画像は義経が暮らしていた館。

秀衡は義経の為に頼朝との戦に備えていたのですが急死してしまいます。

秀衡の後を継いだのは四代目藤原泰衡でした。

泰衡は、義経を護るようにとの秀衡の遺言があったにも関わらず、

源頼朝からの度重なる脅しと嫌がらせに屈し、義経を裏切ります。

高館堂にいた義経を襲撃し、追い詰められた義経は高館義経堂にて自害したと言われています。

平泉 高館義経堂 (9)

義経そして父秀衡の遺言を裏切った泰衡ですが、頼朝の意向に沿った行動を取りましたが、

その後頼朝の東北征伐により滅ぼされてしまいます。

どのみち頼朝に攻め込まれるなら義経を大将にして頼朝と戦をしても良かったのではないかというのが

一般的な評価です。

 平泉 高館義経堂 (3)

芭蕉の句碑。

なつくさや つはものどもが ゆめのあと

かつて栄華を誇った奥州藤原氏。打倒平家を果たし理想の国家設立を夢見た源義経。

彼ら英雄たちが暮らしたかつての日本第二の都市も、今目の前には夏草が生い茂っているだけである。

彼らの栄華も歴史全体で見れば一炊の夢の如し。

夏草を見ているともののあはれを感じる。

ポップに解釈するとこのような感じでしょうか。

平泉 高館義経堂 (7)

国破れて山河あり。城春にして草青みたりと。

笠内敷きて。時のうつるまで泪を落とし侍りぬ。

平泉 高館義経堂 (6)

「切ないね。」では伝えきれない様々な思いを簡潔にまとめた秀逸の詩です。

世界遺産平泉を巡る  金鶏山

前回のエントリーで世界遺産平泉の礎を築いた奥州藤原氏についてご紹介しました。文字ばっかりで読みにくかったと思います。今回は写真たっぷりでお届けいたします。

今回ご紹介するのは金鶏山です。きんけいざんと読みます。

平泉 金鶏山 (1)

金鶏山は世界遺産を構成する5資産のうちのひとつで、標高約200mの小高い丘のような山です。

名前の由来は奥州藤原氏二代目の藤原基衡が金で作った雌雄の鶏を山中に埋めたとする説が通説です。

平泉 金鶏山 (2)
平泉 金鶏山 (3)
平泉 金鶏山 (4)
 
あちこちに金鶏山の名前の由来を説明する看板があり、どの看板も似たような事を書いていました。 

また金鶏山に経塚が確認されています。

経塚とはお経を埋めて土を盛った場所をいい、その目的は時代により異なります。



藤原基衡の時代においては浄土思想の中で個人の祈願成就を目的として行われていたようです。

浄土思想とは阿弥陀如来を信仰し、西方極楽浄土に往生する事を目指す思想をいいます。

基衡は何を祈願したのでしょうか。自分が極楽浄土へ行ける事でしょうか。

のちに紹介する無量光院跡は浄土思想を具体的な形として表現した建造物で、

そのカギを握るのが金鶏山です。つづきは無量光院跡のところで。

話は変わり、金鶏山には様々なものが祀られています。

平泉 金鶏山 (5)

平泉 金鶏山 (6)

金鶏山の入り口に千手堂と呼ばれるお堂があり、そこには看板に書いてあるように

一、 御本尊千手観音


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一、 弁財天尊(十六童子)


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一、 藤原三将軍の御位牌

一、 藤原秀衡公の木像

一、 愛染明王の像

一、 不動明王の像


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が安置されています。※写真に写っている物自体が安置されているわけではありません。

平泉 金鶏山 (7)

ご覧のようなコンパクトサイズのお堂に沢山のものが安置されています。

平泉 金鶏山 (8)

平泉以外にも岩手県内で立ち寄りたい所が色々ある事、昨日から殆ど寝ていない事を理由に

この日は金鶏山に登っていませんが、平安時代の領主が領民統治の為に何を願っていたのか等

平安史に関する知識が深まりそうなので、平泉をメイン訪問地とされる方には登山をお勧めします。

平泉 金鶏山 (10)

上の道しるべにあるように入ってすぐの所に義経関連のお墓があります。

平泉 金鶏山 (11)

源義経公妻子之墓 。

平泉 金鶏山 (12)

元々別の場所にあったのですが、管理しやすいように移動させたとの事です。

平泉 金鶏山 (9)

義経公は光となったとかモンゴルへ行ったとか不思議な言い伝えが残っています。

 ということで(?)ここには母と子のみ祀られています。

平泉 金鶏山 (13)

金鶏山登山道はまだ続きますが、ここで引き返し、次の目的地へ向かいました。

ご参考

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