奥州藤原氏ゆかりの寺を巡り終え、向かったのは達谷窟毘沙門堂です。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (1)

中尊寺から車で10km足らず移動します。車のエアコンをガンガンに効かせて必死に体力回復を。

達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)は蝦夷征伐の最高司令官であり、

初代征夷大将軍と言われる坂上田村麻呂が蝦夷征伐の拠点を構えた地といわれています。





平泉 達谷窟毘沙門堂 (2)

前九年後三年の役の折には源頼義、義家が戦勝祈願のため寺領を寄進したと伝えられています。

さらに時代は下り、源頼朝も奥州征伐の帰り道に立ち寄った記録も残されています。

源氏と坂上田村麻呂は何の関係もありません。

ですが蝦夷征伐をした坂上田村麻呂の武運にあやかりたかったのでしょうか。 

平泉 達谷窟毘沙門堂 (3)

これまで緑深い寺を巡っていたので鳥居の朱色がやたらとげとげしく感じました。

達谷窟毘沙門堂には毘沙門天、弁天、不動明王、薬師如来、いろんな仏様がいらっしゃいます。

ところで、弁天は神社で祀られている神様だから毘沙門天らと一緒にいる事に疑問を感じませんか?

実は弁天が神社中心に祀られるようになったのは明治以降の話で、昔は寺でも弁天は祀られていたのです。

明治維新の神仏分離により形式的に分離されていただけだったんですね。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (4)

赤鳥居をくぐると左に弁天堂、右に毘沙門堂が見えます。

順路は先に毘沙門堂を巡るようになっていますがエントリーの便宜上先に弁天堂をご紹介します。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (5)

紹介といっても写真を貼っているだけですが・・・。赤い弁天堂です。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (13)
平泉 達谷窟毘沙門堂 (14)

とにかく朱!朱!朱!

平泉 達谷窟毘沙門堂 (15)
平泉 達谷窟毘沙門堂 (16)

平泉 達谷窟毘沙門堂 (17)

そういえば高校野球の智辯学園、智辯和歌山のユニフォームは朱色ですよね。

ここも朱が基調ですから弁天様のトレードカラーは朱色なのかなと調べましたが関係ないようです。

弁天様は弁財天という神なので金運商売にご利益があるそうです。


※クリックすると外部サイトへ移動します。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (18)

場所は変わり不動堂です。こちらのお不動さんは眼病に良いそうです。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (19)

平泉の寺社仏閣は茅葺き屋根が多いです。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (20)

次いで金堂(こんどう)です。薬師如来が祀ってあります。諸々の願いがかなうそうです。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (21)

コンパクトサイズですが立派な建物です。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (6)

後回しにした毘沙門堂です。毘沙門天は軍神です。

現代ではそこから転じて勝負事に御利益があると言われています。 

罰が当たる可能性は低くありませんが、勝負事にいいならギャンブルにもご利益があるかもしれません。


※クリックすると外部サイトへ移動します。

少々強引ですが本ブログタイトルと関連付けてみました。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (7)

毘沙門堂の内部は撮影禁止です。2階入り口付近から下を覗いたビューで1枚。

手前に舞台のような場所があります。 ここは京都の清水寺を模したそうです。あの清水の舞台です。

坂上田村麻呂と清水寺にはエピソードがあり、細かい話はここでは省略しますが、

奥州征伐の成功と清水寺に関係を見出し、この堂に清水寺を再現したと言われています。

さて、この毘沙門堂を降りると次は日本のアンコールワット(とは誰も言っていませんが)の登場です。

ご参考