前回は奇跡の一本松をご紹介しました。今回は反対側へ行ってみます。
震災遺構として保存されている旧道の駅高田松原です。
追悼施設はこの敷地内にありますが、犠牲者のための施設なので紹介は省略させていただきます。
跡形もなく破壊されると当時の津波の威力が分かりにくくなりますが、
中途半端に残っていると、その破壊力が生々しく伝わってきます。
陸前高田では復興事業が続けられていますが、人々がこの地で暮らし始める目途は全く立っていません。
ここで思うのは、人々が暮らすかどうか分からない場所で公共事業を続ける意味です。
陸前高田を訪れるまでなら、受益者なき公共事業は無駄だと言い切っていたでしょう。
人の生活している場所の防災設備に充てた方が有効だし犠牲者も浮かばれるかもしれないと。
ですがそれは現場を知らない者の机上の戯言です。
現地のあの空気に触れると、無駄と分かっていても何かしないといけない気分になります。
生活の目途が立たないからと言って、この一帯を放り投げてしまっては犠牲者が浮かばれません。
二度と犠牲者を生まないようにこういう物を作りました、という物を作る事が供養になるように思います。
ここを訪れて、お金の使い道について考え方が広がった気がします。
明るい色調の花が道路脇に植えられています。
犠牲者が楽しむための花なのか、生き残った者の悲しみを和らげるための花なのか。
道路脇の花に景観向上以外の意味を感じたのは初めてでした。
ご参考
証言記録 東日本大震災 第一回 岩手県陸前高田市 ~消防団員の見た巨大津波~ [DVD]