柳之御所遺跡は奥州藤原氏の政務の場とされる場所です。
多数の遺構と京都そして海外と交流があったことを示す土器、陶磁器が発見されています。
世界遺産を構成する5資産に入っていませんが、奥州藤原氏、平泉文化を研究する上で重要な遺跡です。
近鉄奈良線の西ノ京と西大寺の間で見られる平城京遺跡群に似た敷地が広がっています。
多数の遺構と京都そして海外と交流があったことを示す土器、陶磁器が発見されています。
世界遺産を構成する5資産に入っていませんが、奥州藤原氏、平泉文化を研究する上で重要な遺跡です。
近鉄奈良線の西ノ京と西大寺の間で見られる平城京遺跡群に似た敷地が広がっています。
気になるのは豊かな経済力を持った平泉がどれくらいの規模の貿易を行っていたかという点です。
奥州藤原氏は、かなり広範囲に渡って貿易を展開していたようでした。
奥州藤原氏は、かなり広範囲に渡って貿易を展開していたようでした。
柳之御所跡から中国産の陶磁器が大量に出土している他、後に紹介する中尊寺金色堂には
宋版一切経が収蔵されていることから宋と貿易をしていたことは明らかです。
他にも金色堂七堂螺鈿の巻柱には、屋久島でしか採れない貝殻が使われ、
須弥壇にはアフリカ象の象牙が使用されていました。
この象牙は奥州藤原氏がアラブ系の人と交易していたとする説と、
平泉から船を出してアフリカから仕入れてきたとする説がありますが、
いずれにしても高い交易力があったと言えます。
更に平泉には、当時皇族でもめったに手に入らない犀の角が出土されています。
平泉のもっとも輝いていた時代。
この強大な国力が源頼朝に警戒され、後に頼朝によって滅ぼされる事になるとは
世の無常という他ありません。
ご参考
宋版一切経が収蔵されていることから宋と貿易をしていたことは明らかです。
他にも金色堂七堂螺鈿の巻柱には、屋久島でしか採れない貝殻が使われ、
須弥壇にはアフリカ象の象牙が使用されていました。
この象牙は奥州藤原氏がアラブ系の人と交易していたとする説と、
平泉から船を出してアフリカから仕入れてきたとする説がありますが、
いずれにしても高い交易力があったと言えます。
更に平泉には、当時皇族でもめったに手に入らない犀の角が出土されています。
平泉のもっとも輝いていた時代。
この強大な国力が源頼朝に警戒され、後に頼朝によって滅ぼされる事になるとは
世の無常という他ありません。
ご参考