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奥の細道

世界遺産平泉を巡る  中尊寺

今回は世界遺産平泉のメイン史跡である中尊寺をご紹介します。

平泉 中尊寺 (10)

中尊寺は奥州藤原氏の初代藤原清衡が前九年、後三年の役で多くの東北の民が亡くなったので、

その魂を極楽浄土へ導くとともに戦乱の無い世の中を築くことを誓った寺社です。



平泉 中尊寺 (31)


時の鎮守府将軍の源頼義、源義家は東北の紛争を武力を以て鎮める権限を持っていました。

源氏がその時どれだけ東北の民を殺したのか分かりませんが、

藤原清衡は非戦の人になり中央の権力者との軋轢を避ける事に努めました。



平泉 中尊寺 (1)

お盆休みということもあり、入り口は活気づいていました。

平泉 中尊寺 (2)

ここからひたすら坂道の連続です。

これまで繰り返し申し上げているように、昨日から殆ど寝ずにここまで来ています。

真夏。睡眠不足。急坂。

体力を奪う要素が3つも揃い、悪い汗がダクダク出るわ意識は朦朧だわといった状態でした。

ですから辛かった事以外は覚えていません。

平泉 中尊寺地図

中尊寺のマップです。以下この地図を参考に写真をご覧になると分かり易いと思います。

平泉 中尊寺 (3)

初めは弁慶堂です。弁慶は清衡の時代の人ではありませんが、こちらで祀られています。

平泉 中尊寺 (4)
平泉 中尊寺 (6)
平泉 中尊寺 (7)

武蔵坊弁慶は五条大橋で義経に出会って以降、最期まで義経を守り続けた忠義の男でした。

弁慶のような人材は現代でも重宝されると思うのですが、そういう人は中々見かけません。

平泉 中尊寺 (5)

ニッスイの弁慶ソーセージを食べて君も弁慶になろう(大嘘)。フジカラーって懐かしい。

平泉 中尊寺 (12)

中尊寺の本堂。金色堂はここから更に250m先です。

平泉 中尊寺 (14)
平泉 中尊寺 (15)

本堂を出ると峯薬師堂が見えます。この辺りの景色なんかは嵯峨野や東山の景色に似てませんか?

平泉はいい意味で日本の近代化の流れに乗らなかったので、

他の小京都と呼ばれる観光地よりよほど京都的な風情が残っています。

平泉 中尊寺 (16)

写真を眺めていると虫の鳴き声が聞こえてきそうです。

平泉 中尊寺 (18)

不動堂。不動明王のいる場所です。 

平泉の史跡は結構あちこちで不動明王がまつられています。 

平泉 中尊寺 (19)

鐘楼。銘に中尊寺の創建や建武の火災に関する史料がのこっている日本史研究上重要な史跡。

撞座の摩耗が甚だしく鐘を撞かれる事はもうありません。

茅葺き屋根が平安時代を連想させてくれます。

平泉 中尊寺 (20)

いよいよ金色堂もとい、やっとこさ金色堂。

ここまで来るまでに歴史的建造物を腹いっぱい見てきたので、正直どうでもよくなってました。

==中尊寺金色堂は有料でかつ写真撮影が禁じられています。==

金色堂内部には当時造られた仏像が展示されていました。

それを見て思ったのは、自分には骨董品を集める嗜好は無いという事。

建物には惹かれても偶像には感じるものはありませんでした。

平泉 中尊寺 (22)

とっとと外に出て芭蕉王翁句碑を発見。

平泉 中尊寺 (23)

 五月雨の 降のこしてや 光堂

平泉 中尊寺 (24)


周りの建物は雨風で朽ちているが、金色堂だけは昔のまま輝いている。

金色堂にだけは五月雨も遠慮して降らなかったのではないか。

平泉 中尊寺 (25)

山林と同化して趣ある寺にキラキラ輝く金色堂とやら。 どんなものだったのでしょうね。

平泉 中尊寺 (27)

金色堂の更に奥にオマケのように能舞台、西物見というものがあります。

平泉 中尊寺 (28)

能舞台。

平泉 中尊寺 (29)
 
平泉 中尊寺 (30)

以上中尊寺でした。疲れたーっ!!

平泉 中尊寺 (32)

オマケ。 中尊寺の金色堂へ向かう途中に鉄道の撮影スポットがあります。

東北本線です。残念ながら列車は通りませんでした。

もうひとつオマケ。中尊寺には公営駐車場と民営の土産物屋の駐車場があります。

土産物屋の駐車場の誘導員がヤリ手で、つい土産物屋の駐車場に入ってしまうような

名人芸的な誘導を披露しています。 

ご参考

世界遺産平泉を巡る  高館義経堂

高館義経堂は世界遺産を構成していませんが奥州藤原氏と関連のある史跡なので寄ってきました。

平泉 高館義経堂 (1)

看板は見つけやすいです。看板から少し行った所に専用駐車場があります。

平泉 高館義経堂 (2)

結構な急坂です。

平泉 高館義経堂 (11)

有料ゾーンと無料ゾーンがあり、この日は無料ゾーンのみ見てきました。有料も見ときゃ良かったなぁ。

高館義経堂は坂の後に急こう配の階段が待っています。

平泉 高館義経堂 (5)

階段を上りきると分かれ道に。まずは義経堂からご紹介します。

高館義経堂は奥州藤原氏の居館の一つで、平泉に落ち延びてきた源義経を匿った場所です。

源義経は壇ノ浦で平家を打ち滅ぼした功労者でした。

しかし頼朝に許可なく検非違使に就いたり、平家との戦で指示、権限を無視した事などを理由に

頼朝からは罪人扱いを受けます。 

加えて頼朝が義経を討つ行動を取ったため義経は京都を去らざるを得なくなり、

若い頃、鞍馬寺から逃げ出した際に匿ってもらった藤原秀衡のもとへ落ち延びました。

平泉 高館義経堂 (8)

平泉 高館義経堂 (10)

画像は義経が暮らしていた館。

秀衡は義経の為に頼朝との戦に備えていたのですが急死してしまいます。

秀衡の後を継いだのは四代目藤原泰衡でした。

泰衡は、義経を護るようにとの秀衡の遺言があったにも関わらず、

源頼朝からの度重なる脅しと嫌がらせに屈し、義経を裏切ります。

高館堂にいた義経を襲撃し、追い詰められた義経は高館義経堂にて自害したと言われています。

平泉 高館義経堂 (9)

義経そして父秀衡の遺言を裏切った泰衡ですが、頼朝の意向に沿った行動を取りましたが、

その後頼朝の東北征伐により滅ぼされてしまいます。

どのみち頼朝に攻め込まれるなら義経を大将にして頼朝と戦をしても良かったのではないかというのが

一般的な評価です。

 平泉 高館義経堂 (3)

芭蕉の句碑。

なつくさや つはものどもが ゆめのあと

かつて栄華を誇った奥州藤原氏。打倒平家を果たし理想の国家設立を夢見た源義経。

彼ら英雄たちが暮らしたかつての日本第二の都市も、今目の前には夏草が生い茂っているだけである。

彼らの栄華も歴史全体で見れば一炊の夢の如し。

夏草を見ているともののあはれを感じる。

ポップに解釈するとこのような感じでしょうか。

平泉 高館義経堂 (7)

国破れて山河あり。城春にして草青みたりと。

笠内敷きて。時のうつるまで泪を落とし侍りぬ。

平泉 高館義経堂 (6)

「切ないね。」では伝えきれない様々な思いを簡潔にまとめた秀逸の詩です。
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