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競馬場、馬券、予想、一口馬主、グルメ、その他諸々に関するブログです。

世界遺産

ブログ開設ウン年。遂に丸パクリされる快挙。

遂に当ブログのエントリーが丸パクリされました。

その記事はコチラです。 世界遺産平泉を巡る毛越寺

そしてこちらが当ブログの元ネタです。 世界遺産平泉を巡る毛越寺

パクリは本来許されざる行為ですが、元ネタのアクセス数が言葉を失うほどの少なさなので嬉しさが勝ります。

という事で今回は不問どころかリンクまで貼ってあげる大サービス。

とはいえパクルならリンクを貼り、文章も改行して、読み手が満足できるようにパクッてくださいね。

世界遺産平泉を巡る  岩面大佛、日本のアンコールワット

日本にもアンコールワットのような遺跡があります。岩手県平泉にある岩面大佛のことです。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (8)

さあ見てみましょう・・・、とその前に岩面大佛について簡単な説明を。

源義家が後三年の役で亡くなった者を弔う目的で作ったと言われています。

その時の義家は馬上の上から放った弓で岩を削ってゆき顔の形にしたとの言い伝えが残っています。

崖の岩肌に人の顔面が浮き上がっています。ミステリアスでちょっと霊的な雰囲気の漂う遺跡です。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (9)

この上に・・・。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (12)
 
!!!

平泉 達谷窟毘沙門堂 (10)
平泉 達谷窟毘沙門堂 (11)

現場で見た感想は、良く言えば神秘的ですが直感的な気持ち悪さがあります。

他の世界遺産の構成資産とは明らかに異質です。 

TVアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」お面 (石仮面)


 

世界遺産平泉を巡る  達谷窟毘沙門堂

奥州藤原氏ゆかりの寺を巡り終え、向かったのは達谷窟毘沙門堂です。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (1)

中尊寺から車で10km足らず移動します。車のエアコンをガンガンに効かせて必死に体力回復を。

達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)は蝦夷征伐の最高司令官であり、

初代征夷大将軍と言われる坂上田村麻呂が蝦夷征伐の拠点を構えた地といわれています。





平泉 達谷窟毘沙門堂 (2)

前九年後三年の役の折には源頼義、義家が戦勝祈願のため寺領を寄進したと伝えられています。

さらに時代は下り、源頼朝も奥州征伐の帰り道に立ち寄った記録も残されています。

源氏と坂上田村麻呂は何の関係もありません。

ですが蝦夷征伐をした坂上田村麻呂の武運にあやかりたかったのでしょうか。 

平泉 達谷窟毘沙門堂 (3)

これまで緑深い寺を巡っていたので鳥居の朱色がやたらとげとげしく感じました。

達谷窟毘沙門堂には毘沙門天、弁天、不動明王、薬師如来、いろんな仏様がいらっしゃいます。

ところで、弁天は神社で祀られている神様だから毘沙門天らと一緒にいる事に疑問を感じませんか?

実は弁天が神社中心に祀られるようになったのは明治以降の話で、昔は寺でも弁天は祀られていたのです。

明治維新の神仏分離により形式的に分離されていただけだったんですね。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (4)

赤鳥居をくぐると左に弁天堂、右に毘沙門堂が見えます。

順路は先に毘沙門堂を巡るようになっていますがエントリーの便宜上先に弁天堂をご紹介します。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (5)

紹介といっても写真を貼っているだけですが・・・。赤い弁天堂です。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (13)
平泉 達谷窟毘沙門堂 (14)

とにかく朱!朱!朱!

平泉 達谷窟毘沙門堂 (15)
平泉 達谷窟毘沙門堂 (16)

平泉 達谷窟毘沙門堂 (17)

そういえば高校野球の智辯学園、智辯和歌山のユニフォームは朱色ですよね。

ここも朱が基調ですから弁天様のトレードカラーは朱色なのかなと調べましたが関係ないようです。

弁天様は弁財天という神なので金運商売にご利益があるそうです。


※クリックすると外部サイトへ移動します。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (18)

場所は変わり不動堂です。こちらのお不動さんは眼病に良いそうです。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (19)

平泉の寺社仏閣は茅葺き屋根が多いです。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (20)

次いで金堂(こんどう)です。薬師如来が祀ってあります。諸々の願いがかなうそうです。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (21)

コンパクトサイズですが立派な建物です。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (6)

後回しにした毘沙門堂です。毘沙門天は軍神です。

現代ではそこから転じて勝負事に御利益があると言われています。 

罰が当たる可能性は低くありませんが、勝負事にいいならギャンブルにもご利益があるかもしれません。


※クリックすると外部サイトへ移動します。

少々強引ですが本ブログタイトルと関連付けてみました。

平泉 達谷窟毘沙門堂 (7)

毘沙門堂の内部は撮影禁止です。2階入り口付近から下を覗いたビューで1枚。

手前に舞台のような場所があります。 ここは京都の清水寺を模したそうです。あの清水の舞台です。

坂上田村麻呂と清水寺にはエピソードがあり、細かい話はここでは省略しますが、

奥州征伐の成功と清水寺に関係を見出し、この堂に清水寺を再現したと言われています。

さて、この毘沙門堂を降りると次は日本のアンコールワット(とは誰も言っていませんが)の登場です。

ご参考

 

世界遺産平泉を巡る  中尊寺

今回は世界遺産平泉のメイン史跡である中尊寺をご紹介します。

平泉 中尊寺 (10)

中尊寺は奥州藤原氏の初代藤原清衡が前九年、後三年の役で多くの東北の民が亡くなったので、

その魂を極楽浄土へ導くとともに戦乱の無い世の中を築くことを誓った寺社です。



平泉 中尊寺 (31)


時の鎮守府将軍の源頼義、源義家は東北の紛争を武力を以て鎮める権限を持っていました。

源氏がその時どれだけ東北の民を殺したのか分かりませんが、

藤原清衡は非戦の人になり中央の権力者との軋轢を避ける事に努めました。



平泉 中尊寺 (1)

お盆休みということもあり、入り口は活気づいていました。

平泉 中尊寺 (2)

ここからひたすら坂道の連続です。

これまで繰り返し申し上げているように、昨日から殆ど寝ずにここまで来ています。

真夏。睡眠不足。急坂。

体力を奪う要素が3つも揃い、悪い汗がダクダク出るわ意識は朦朧だわといった状態でした。

ですから辛かった事以外は覚えていません。

平泉 中尊寺地図

中尊寺のマップです。以下この地図を参考に写真をご覧になると分かり易いと思います。

平泉 中尊寺 (3)

初めは弁慶堂です。弁慶は清衡の時代の人ではありませんが、こちらで祀られています。

平泉 中尊寺 (4)
平泉 中尊寺 (6)
平泉 中尊寺 (7)

武蔵坊弁慶は五条大橋で義経に出会って以降、最期まで義経を守り続けた忠義の男でした。

弁慶のような人材は現代でも重宝されると思うのですが、そういう人は中々見かけません。

平泉 中尊寺 (5)

ニッスイの弁慶ソーセージを食べて君も弁慶になろう(大嘘)。フジカラーって懐かしい。

平泉 中尊寺 (12)

中尊寺の本堂。金色堂はここから更に250m先です。

平泉 中尊寺 (14)
平泉 中尊寺 (15)

本堂を出ると峯薬師堂が見えます。この辺りの景色なんかは嵯峨野や東山の景色に似てませんか?

平泉はいい意味で日本の近代化の流れに乗らなかったので、

他の小京都と呼ばれる観光地よりよほど京都的な風情が残っています。

平泉 中尊寺 (16)

写真を眺めていると虫の鳴き声が聞こえてきそうです。

平泉 中尊寺 (18)

不動堂。不動明王のいる場所です。 

平泉の史跡は結構あちこちで不動明王がまつられています。 

平泉 中尊寺 (19)

鐘楼。銘に中尊寺の創建や建武の火災に関する史料がのこっている日本史研究上重要な史跡。

撞座の摩耗が甚だしく鐘を撞かれる事はもうありません。

茅葺き屋根が平安時代を連想させてくれます。

平泉 中尊寺 (20)

いよいよ金色堂もとい、やっとこさ金色堂。

ここまで来るまでに歴史的建造物を腹いっぱい見てきたので、正直どうでもよくなってました。

==中尊寺金色堂は有料でかつ写真撮影が禁じられています。==

金色堂内部には当時造られた仏像が展示されていました。

それを見て思ったのは、自分には骨董品を集める嗜好は無いという事。

建物には惹かれても偶像には感じるものはありませんでした。

平泉 中尊寺 (22)

とっとと外に出て芭蕉王翁句碑を発見。

平泉 中尊寺 (23)

 五月雨の 降のこしてや 光堂

平泉 中尊寺 (24)


周りの建物は雨風で朽ちているが、金色堂だけは昔のまま輝いている。

金色堂にだけは五月雨も遠慮して降らなかったのではないか。

平泉 中尊寺 (25)

山林と同化して趣ある寺にキラキラ輝く金色堂とやら。 どんなものだったのでしょうね。

平泉 中尊寺 (27)

金色堂の更に奥にオマケのように能舞台、西物見というものがあります。

平泉 中尊寺 (28)

能舞台。

平泉 中尊寺 (29)
 
平泉 中尊寺 (30)

以上中尊寺でした。疲れたーっ!!

平泉 中尊寺 (32)

オマケ。 中尊寺の金色堂へ向かう途中に鉄道の撮影スポットがあります。

東北本線です。残念ながら列車は通りませんでした。

もうひとつオマケ。中尊寺には公営駐車場と民営の土産物屋の駐車場があります。

土産物屋の駐車場の誘導員がヤリ手で、つい土産物屋の駐車場に入ってしまうような

名人芸的な誘導を披露しています。 

ご参考

世界遺産平泉を巡る 観自在王院跡

観自在王院跡とは奥州藤原氏二代目の藤原基衡の妻が建てたお寺の跡地の事をいいます。

藤原基衡は熱心な浄土思想を持つ人物で、立派な浄土庭園を持つ毛越寺を建立しました。

夫の影響を受けたのか、妻も浄土庭園の造りをした観自在王院を建てました。

平泉 観自在王院跡 (1)

場所は毛越寺の隣です。だだっ広い空き地です。

毛越寺の敷地内から見えますし、平泉のメインストリート(?)に面しているので車窓からも見えます。

 平泉 観自在王院跡 (2)

入り口付近にある看板です。

御堂に阿弥陀如来が祀ってあった事、京の風景が御堂に描かれていた事から浄土への思いと

京文化への憧憬が窺えると書かれています。

因みに、阿弥陀如来=観自在王如来らしいです。


クリックすると外部サイトへ移動します。


さて、観自在王院跡は大阿弥陀堂、小阿弥陀堂、舞鶴が池で構成される浄土庭園です。

訪問当時は観自在王院跡に関する知識はゼロだったので大阿弥陀堂と小阿弥陀堂に立ち寄りませんでした。

平泉 観自在王院跡 (5)
平泉 観自在王院跡 (6)
平泉 観自在王院跡 (9)

手入れの行き届いた小ざっぱりした空き地です。

平泉 観自在王院跡 (7)

舞鶴が池です。

浄土庭園は御堂の前に大きな園池が広がる形式で、観自在王院跡もその形式が残っています。

観光客が殆どいないのでマイペースで見る事ができます。無料の気軽さもあります。

毛越寺の隣ですからついでに立ち寄る事もできますので、巡っておきたい史跡です。

ご参考
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